サクタ工務店『家まもりの歴史』

社長(棟梁)が大工になり、サクタ工務店がはじまったきっかけ

サクタ工務店の家づくりは「身近な人の家づくり」からはじまりました。

私の実家は専業農家で、私も将来は専業農家になるつもりでした。
10代の頃「大工仕事の手伝い」などのきっかけで、将来を考え、家族との話合いの結果「手に職を」と、大工の道に入りました。
大工の弟子として仕事をしながら夜学に通い、7年後、24歳で独立しました。

大工の弟子時代

私が弟子の頃は、職人全盛時代。思い返せば、様々な経験をさせて頂き、様々な思い出があります。

例えば、お昼。弟子は先生にお茶を入れねばなりません。
仕事も「早く食べて、早く立つ」のが当たり前ですが、職人さんの残りものも「若いから食え」という事で頂戴します。
無理がたたって、弟子になって半年で急性胃炎になりました。この時は本当に大変でした。

独立時代

独立後、はじめは転々と、あちらこちらで手伝いをする日々、1年を過ぎた頃、近所の方に仕事のご依頼を頂きました。

独立してからはじめての自分の仕事となりましたが、思いのほか気負いもなく。
静かにやるべき事を淡々とやる。といった心持ちで臨むことができました。

無事に完成した時に、施主さんやご家族が喜ぶ顔を見ると嬉しいのは、この時も今も、何も変わりありませんね。

その後、色々な伝手でご相談を頂き、仕事を着々を手掛けていく事ができました。
振り返れば、(今は亡き)父の人柄・顔で、皆さんから相談して頂けたなぁと、感慨深い思いと共に、改めて責任を感じます。

父も機械が好きで、ワープロを使ったり、パソコンで写真を加工したり・・・
当時、人力が普通だった農作業で、機械を加工・製作するなど、発明家のような人でした。

私もパソコンを独学ではじめましたが、間違いなく父の影響があるなと感じています。

 

サクタスタイルの原点となった、お客様の言葉

当時は個人の大工さんが多く活動していました。
ご相談いただいた際、私も忙しく、人手が不足していたため、既に着工している現場と併行して建てる事になりました。

毎日追われるように過ごす中、余り時間が取れず、片方の現場で、信頼できる大工さんに親方を任せきるような形となってしまいました。

その時、お客様からの「おらぁ、サクタさんに頼んだのにや」という寂しげな一言で「ハッ」とし、本当に申し訳ない気持ちで一杯になりました。その言葉は、今でも頭から離れません。

任せられた仕事は、自分(達)でやりきる。
大変な事ではあるのですが、今も大切にしているスタイルに繋がる、貴重なお言葉となりました。

結婚、息子誕生

25歳に妻と結婚。
27歳、長男・直人が誕生しました。(S53年)
ちょうどその頃、大きな地震があり、登米大橋が通行止めになったのを覚えています。

30歳、次男・亮(二代目)誕生

その3年後、三男の仁が誕生しました。

ひたすらに大工、そして、子供の成長

当時、ちびっ子達は田んぼでよくお神楽をやっていました。

様々な事がありながらも、ひたすら大工の道を突き進みました。

大工、大工、大工・・・です。

介護支援・ホープ開設

介護に関するリフォームの仕事が連続であった時期。
介護支援設備のレンタル・ホープを、合同設立しました。

東日本大震災

東日本大震災で、宮城県も大変な被害を受けました。
地元の登米市は他に比べて、人身被害は少ない傾向だったとはいえ、たくさんの方が物損などにより大変な思いをされたかと思います。
また、登米市は、南三陸町の方々の避難先となり、たくさんの方が移住する事となりました。

かける言葉が見つからないほど、大変な思いをされた方がたくさんいて、本当に考えさせられる事が多々ありました。

事務所全焼

2012年12月某日、事務所の全焼火災がありました。
この際も、皆様にこれ以上なくお世話になりました。

普通以上、それ以上の、この上ない恩義に、胸が一杯になりました。

今に至る
これからも、二代目である亮の世代においても、家守りとしての役割を果たせるよう、一丸となって精進していきたいと思います。

 

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